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| 日本の古典文学?に、燦たる足跡を残した三人の才女。世界最初の小説・源氏物語=紫式部。世界最初の随筆(エッセイ)=清少納言。、そして31文字の“魔術師”=和泉式部。ワシャ、勝手に決めたが”古典・コテン”の袋叩きでも結構。厚顔にもここで三人才女の寄って来たる系図で一席、と行きます。 ![]() ![]() ![]() 本文の方でも触れたが、清少納言はエッセイの名手だが、生き方はかなり豪快だったようだ。裾まくりの一件でもそうだが、その日常もなかなか達者。最初の夫、橘則光TのこどもがいるのDが、藤原棟世といい仲になってしまった。則光は浮気(当時Sぽういったかどうか)を知って,苦笑。当然何かはあったろうが、離婚となった。清少納言は早速再婚して女の子を出産している。風俗の乱れと言うより、“そういうもの”だったように思う。タレントや政治家は、浮気やつきあいのもめ事で失脚数Rケースが珍しくないが、枕草紙でも読んで平安朝を例に挙げ、 「それがどうした!」と並み居るマスコミを,一喝するような面白い奴が出てくるといいな。取材する側だって,身に覚えはあるだろうからねー。 それにしても兄貴の淸原致信を郎党として使っていた藤原保昌は凄い。和泉式部のところでお伝えするが、やるやる。ワルの権化みたいな弟もびっくりする媼ワルだった。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 夫、交際相手は、公然と世間に認められた数々の男たち、天皇子息二人と恋仲になったこと自体驚きなのに、盗賊の頭をへなへなに屈服させる貴族界の怪物まで、それはそれは賑やか。悪びれることなく、出入りする男、同居する貴族は“絶えることなし”の大盛況。良くも鉢合わせしないものだと感心するほどだ。 最初の夫は橘道貞、二番目の夫は藤原保昌。和泉式部から=で結ばれて居るのが婚姻関係。点線は同居の関係まで進んだ関係。そして、点線にはなっていないが、まだ引くべき関係があるのだが、到底、確実な数は和泉式部本人でさえ「分かるはずも無い」と書かれている。天才歌人は、平安時代の倫理感から言っても、驚きの行状と言うことになろうか。 欄外右へ延びている点線の先には大江山の鬼退治で知られる頼光の係累へと連なる。しかし、純な面もあり、歌で綴る和泉式部日記では、微妙な女性品リヤ、ある意味可愛らしい面も汲み取れる。天才女性歌人は日本文学史の中でも,まさに異端の存在でもあろう。 娘の小式部内侍も才人で、若くして没したが、歌壇では知られた存在だった。 |
![]() ![]() ![]() ![]() 清少納言と紫式部の関係(拓まろさん作図) ![]() 紫式部系図(右は共通祖先を辿った図、左は紫式部近親図、Aは紫式部、Bは夫)) 世界の文学史上に大きな足跡を残している紫式部だが、その生誕、死去年月ははっきり分かっていない。978年頃生まれ、1019年頃に死去したようだが、幾つ顔説がありはっきりしない。宮仕えの頃、父や兄が立礼制の式部丞だったので、初めは藤式部、と呼ばれていたが、源氏物語を書き、ヒロイン“紫の上”にちなんで紫式部と呼ばれるようになったと言う。藤原冬嗣の流れ、藤原北家の傍流というが、名門の貴族で学祭のある一族。 1007年に一条天皇の中宮彰子に出仕。清少納言は中宮定子に993年頃仕え、1001年頃宮廷を去っているので、1005年頃彰子に仕えた紫式部は5年ほど後輩だが、めっM式は無かったという。男尊女卑というと御幣はあるが、相続は男性、女子は系図にも“女子”と書かれ、名前は残されないのが普通だった。 |