ミコノス島からアテネへ向かうフェリーでの写真です。小さい島ですが、さすがに“有名島”です。白壁の家々が低い丘の斜面に建ち並び、いかにも日本人好みのギリシャの島を演出しています。
特に歴史的な遺跡はありません。長い間、何でもない小さな島だったのです。オナシスさんが、遊び心で人の来ないこの島に別荘を作ったら、とたんに有名になってしまいました。
島の人はオナシス様々でしょう。特別な観光資源もなかったのですから…。
島のイメージをより鮮明に、より美しくと言うことで、家は白壁に統一されました。
さよならミコノス
ミコノスは遠くから見る島で、島内に泊まろうと思うなら、宿泊料はかなりの額になります。
何もギリシャの小さな島で宝石類などを買うこともないと思うのですが“オナシス効果”とでも言うのでしょうか。まがい物とは言いませんが、本土から遙か船に揺られて運ばれてきたことは明らかです。
レスボス島はトルコと指呼の間です。上の写真で後ろに見えるのはトルコです。まさに対岸という距離です。トルコの古代遺跡で、古代ギリシャの世界、と書きましたが、この島に立つと国境とは何だろうと言う気がします。
中世の城跡にはギリシャ国旗が翻っていました。さらに古い時代の城跡を改修したものです。
島の中心部の北側に寄った山岳地帯に修道院があります。オリーブが山の斜面に植えられ、島の中心となる町、ミティリニから北東に走ると、海岸沿いはずっとトルコが見えます。
城跡はミティリニから約65`ほどで、この時の旅はフェリーに車を積んでいたので、ゆっくりと島見物が出来マシhた。
夜はトルコの海岸沿いの道路の照明が綺麗でした。
▼寄り道
ギリシャの海運王、オナシスさんの別荘があったというので、注目された島です。ジャックリーヌさんとこの島で過ごしたとき、パパラッチが高速ボートで追い回しました。
島の建物は西のミコノス港付近に集中し、後はごく小さな集落があるだけです。島の家々は壁が白く塗られ、多くは窓枠がブルーです。
ミコノス島
▼寄り道
レスボス島は“レスビアン発祥の地”などという説があります。その道には詳しくありませんが、どうも後からキリスト教徒が、古代ギリシャの詩人に“濡れ衣”を着せたようにも思います。
紀元前7〜6世紀頃の女性詩人、サッポー(サッフォー)は女性教育に熱心だったようです。少女の教育に熱を入れる宗教的結社のリーダーでもあり、ました。
彼女はとても情熱的な人だったようで、女神への賛歌や恋愛詩を沢山作っていることなどで、いつの間にか、島そのものをレスボス風=レスビアンというように呼んだのかも知れません。
→ サッフォーは結婚して子供もいたとされますが、一説には美青年に恋し、失恋したため崖から身を投げて死んだという話もあります。
いずれにしても紀元前の話で、神話や伝説に近いものでしょうが、何となく記憶に残っていて、車での島巡りはとても楽しいものでした。
ティノス島にはジジ・ババの知り合いが別荘を持っています。別荘と言っても3DKのアパートです。ギリシャの人は表向き質素でも、結構、島に家やアパートを持っている人が多いのです。
観光名所でない島は、静かです。ティノス島には大きな教会があり、ギリシャ正教の一分派の中心です。多くの信者がやってきます。
島の沖合をたびたび豪華フェリーが通ります。ティノス島には寄りません。格別の観光資源がないからです。ジジ・ババにはどこの島も殆ど同じように思えますが、 →
→観光客は知名度が問題なのは世界共通のようです。
静かに遊ぶのか、見て回るのか、区分けするのは旅人でしょう。
ティノス島
この島はゆとりある財布と時間。何もしないでいる人向きです。
白い壁は島当局から補助が出て、毎年のように塗り直しをします。壁の色こそ、ミコノスの命です。石畳の道は土産屋などのある一部だけです。
島ではスクーターを借りました。ババと2人乗りで島を探索しましたが、東側にはヌーディスト専用ビーチがありました。さすがにそこまでスクーターを乗り入れるのは憚られるし、道は極度に悪くなっていました。
ヌーディストたちの多くは、ボートでビーチへやってくるようです。プライベート・ビーチみたいな格好になっていました。島には特別珍しいものはありません。可笑しかったのは宝石や金銀を売る店があったことです。
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