ボルツアーノ考古学博物館(イタリア)


アイスマンが見つかったチロル/イタリア国境の山々

オーストリアのインスブルックにしばらく滞在して、アルプスを満喫した
あと、チロル地方を経由して、北イタリアへと峠越え。初夏の山岳路をたっぷり楽しんだ。

「そう言えばこの付近の山だったよな。例の5000年前の男」

「アルプスじゃ5、.60年前に遭難した登山者が氷河の末端から見つかったりするから、氷河に遺体が残って居たと言っても、そう珍しくはないね」

「そりゃそうだけど、5300年前というと、日本じゃ石器時代だぜ」

そんなことを話しながら。峠道をのl彫り続けた。雪の切り通しが峠には幾つもあり、それ自体が結構なお楽しみコースでもある。

  

左/アイスマン発見場所。右はアイスマンの想像図

 アイスマンを見るためにボルツアーノへ向かったのではない。イタリアを縦断しながら脊梁山脈みたいにイタリア中央部に連なる小さな村や街を見ようという腹づもりだった。
 しかし、アイスマンの遺体が博物館に展示されていると聞いていたので、通過してしまうのでは悔いが残る。そこでボルツアーののl街に泊まることにして、峠を下った。

 アイスマンが発見されたのは1991年だから、訪れた時には運良く、アイスマンの研究が進み、最近の登山者どころか、5000年を超える大昔の男と分かった。それも肩付近に大きな傷があり、頭部にも損傷が見つかるなど、勘ぐれば、幾らでも男の行動を推測出来る要素も提供されていた。

 考古学者や一発狙いの物書きが群がった。世界中で作家から本格的な考古学者まで、自説を振りかざしての出版となった。なーに。本当の事は分からない。部族紛争で追われ、峠近くまで逃げてきた男は、矢で射られた傷が災いして力尽き、追いすがったベつの男に石で殴られ、転倒した-。そんな話が主流だった。

しかし、負けない学者は猪野中の残存物などから、男はふもとの村で戦の傷が元となり死んだ。数ヶ月後に、遺体は山に運ばれた-。こういう説を唱える人もいた。夢やロマンの詰まった話で、ワシも読ませて貰ったっけ。


  
上の2枚はのぞき窓から似たアイスマン。温度、湿度ほかを厳重に管理されている

  
左は検査の様子(博物館資料)。右はのぞき窓から。よく見ると左手を右に投げ出している


5000年前の人と分かり、多くの人が遺留品探しに山へ

ところでアイスマンの解凍調査によると、髪の色は茶、肌は白、身長160㎝,体重0㌔、年齢は47歳前後、血液型O型、小麦を焼いてパンを食べ、動物の肉やハーブ類も接種していたようだ。また、内臓器官の位置に入れ墨の跡があり、現代ん新旧のツボと一致するという。かなり高度な医療技術があったと推定できる。

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