ここ数年、初冬の北欧でオーロラを観る旅を繰り返してきました。フィンランド、ノルウェー、アイスランド、ちょっぴりスウェーデンなどです。今回は既に経験しているフィヨルドを巡る貨客船に乗り、ノルウェーの北の果て、ロシア国境のキルケネスからベルゲンまでたどることにしました。3年前にノルウェーでオーロラを追った時には、北極圏の都市、トロムソからハシュタへ小型高速艇で移動。半島状に連なるロフォーテン諸島をレンタカーで巡りました。
ロフォーテン諸島は通称で”海のアルプス”とも呼ばれる切り立った岩山が連なる島々で、メルヘンチックな劇画のモデルにもなったと言われるところです。前に来たときは島々をレンタカーで走ったので,今度は海から観てやろう、と言うのが大きな狙いでもありました。もちろんオーロラもその背後には当然大きな期待として横たわっては居ました。残念ながらオーロラは一日しかみえず、3年前の豪壮さとは比べようもありませんでした。それでも、一度の旅で「一度見えれば上等」と言われているので,満足しなければならないでしょう。
もっとも狙いは初冬のフィヨルドです。ノルウェー西岸には暖流が流れ込んでいるので、気候は思いの外柔らかで、フィヨルドの内海は、湖水状態でもあり、外洋を航行するごく一部の海域での大揺れとは、まるで別世界です。乗った船は定期船で、毎日ベルゲンを出航し、キルケネスを往復する航路です。島々で結ばれたノルウェーの町や村を、クルマで結ぶのは道路造り、橋造りが大変で無理なので、船が発達してきましたが、それを大型船でキチンと結ぶようになり、観光客の増加に伴い、客船としての機能を十分に備えて来たのです。
今年はトロムソのアパートメントを20日ほど借りる計画で、家主ともインターネットでやりとりし、借りることを決めて、電話で確かめたのですが、ドタキャン状態で「申し訳ない。アパートが売れてしまったので、キャンセルにして欲しい」と言ってきました。文句をつけることも出来たのですが、面倒なので了解し、別の宿もあったのですが、長期滞在は止めにしてキルケネスからベルゲンまで、一気に船旅にして仕舞ったのです。もちろん船は個室で、シャワーも付いていてまずまずの部屋です。8階、9階には展望ロビーが有り、9階には広いデッキがあります。
夕方になると展望ロビーに陣取り、オーロラの兆候が現れると,デッキへと駆け出すのは以前の旅と同じです。しかし、ツキまくった3年前のようには行かず、1度しかオーロラは見えませんでしたが、周囲の山々は”海のアルプス”の異名に恥じない見事なものでした。海上からそそり立つ「アルプスの頂上付近」を眺めるのは、ヨーロッパ・アルプスの旅とは大きく味の異なるものでした。そびえ立つ岩山が、そのまま数千㍍の深さのフィヨルドを形成しているのかと思うと、狭い海域が,アルプスの氷河、巨大なカールのように多様な海底を持っているのかと、奇妙な感じもするのです。写真・寒々としたフィヨルドの初冬。
これから数回。気の向くままに「初冬のフィヨルドを往く」と題して、写真と駄文を掲載します。
|
|
②最果ての街、キルケネス
|
広大な大地が広がり、僅かに疎林や小さな湖が散らばる。フィンランド北部、ノルウェー、ロシア国境付近は、うっすらと雪が積もり、如何にも寒そうな光景だった。機上から見る大地には、時に道路らしき線は見えるが、集落や村、町などはまるで見えない。オスローを出るときには曇りだったが、極北の地はそこだけ晴れて、周囲を雲に囲まれながら、太陽が照っていた。
天気予報は曇り、一時雪。つかの間の晴れ間に喜んではみたが、初日の夕方から夜にかけて、オーロラのきらめく可能性は限りなく低かった。
キルケネスの飛行場は、こぢんまりしていて、運び込まれた荷物を引き渡すターンテーブルの端に、大きな熊の剥製があるくらいで、ほかには格別のものは無い。荷物を待つ間、外へ出て町への交通機関を探したら、バスが一台停まっていて、ドライバーは「町へはこのバスだけ。後はタクシーがあるよ」と言って、荷物を運んでこいと言うポーズ。
閑散とした空港には広い駐車場があるだけで、観光地の華やかさはまるで無かった。
周囲は樺の疎林。雪がへばりついてやはり寒々としていた。
今回の旅は過去のものとは大きく異なり、レンタカーを利用せず、飛行機、船、バスというごくありふれた交通機関での旅だった。成田からコペンハーゲン経由、オスロー、キルケネスというルート。FinAirのキルケネスへの乗り換えが不便だったのでSASでコペンハーゲン、そこからオスロー、さらに乗り換えてキルケネスという大回りとなった。ノルウェーはどういうわけか、日本からの直行便が無い。ヘルシンキ、コペンハーゲンなどで乗り換えざるを得ないのは,いささか不便だ。

オスローで一泊して北へ飛んだ。以前来たときには同じ時期だが、その時には丘や平地に雪は無かった。今回は所々に雪。ある意味でレンタカーを主要移動手段に選ばなくて良かったかも知れない。レンタカーは空港で借りてしまえば、後は自由の天地だ。時間も場所も、自分で決めて走れば良い。ちょっと入り組んだ地域へも入っていける。その点、飛行機やバスは既定路線以外は移動出来ないので,ジジ・ババの旅には向かなかった。ただ、凍てつく北欧の冬の交通量は驚くほど少ないのは、3年前に経験済みだ。吹雪にでもであったら、お手上げということにもなりかねない。
ま、80歳オーバーでいい歳になったのだし、のんびりとお任せの移動も悪くは無いと選んだ船旅だった。キルケネス空港から街まで、20㌔ほどはあったろうか。白っぽいまぶしい太陽が照りつけて居たが、周囲には雲が湧き、どうもオーロラ日よりとは言えないようだった。こうなれば、まずはホテル。そして名物でもある”ゴールデン・クラブ”と呼ばれるタラバガニを鱈腹,喰ってやろうと狙いをつけた。
もっとも値段の方をよく見ると、北海道でロシア産のタラバを喰った方が、幾分かは安い。ただ、ホテルの水槽にいる蟹は、如何にも勢いが良く旨そうだ。
「もうこの街に来ることも無いだろうな」
2度目になるので、ババとこんな会話を交わし、大盤振る舞い(我らにとっては)となった。
「一匹2人で喰えるかなー」
「問題ないでしょう。4本ずつ食べれば良いんですから」
レストランのマネジャーとおぼしきオッサンは、上客がほとんど居ないで、インド人の団体だけと見て、盛んにでかいタラバを勧めた。喰わないわけにはいかない。30分ほどで茹で上がってきた。焦げ茶の緑っぽかった甲羅は、見事に赤く染まり、如何にも旨そうだ。近くに席を取っていた白人のオバサンは、「これは凄い。写真を撮らして頂戴」と寄ってきて、スマホで何枚か撮り、自分の前に蟹を据えて、如何にも注文したような顔をして「写真撮って頂戴」だと。減るわけでも無いので、注文通りにしてあげたら,大喜びして、自分たちは蟹など頼まず、そこそこにメシを終えて「有りがとさん」と引き揚げていった。
やはり食い切れなかった。笑いながら「きっと後でお腹が空いたとき、あの蟹を食っときゃ良かった,なんて言うよ」とババ。まさにその通りだが、目の前にデン、とあると、さすがに喰う気はしなかった。
ロシア国境が近い最果ての街だが、思いの外に大きい。工場が幾つもあって、町の景気は悪くないようだ。この町にも、炭鉱跡の深く,長いトンネルが有り、防空壕として利用した第二次大戦の痕跡を見ることが出来る。戦士の墓、勇士の立像などもかつての大戦が、最果ての地まで騒がしていたことを思い起こさせる。
道路標識もロシアへの表示が目立つようになっていた。雪があったのでレンタカーで国境検問所まで出向く予定はキャンセルした。
|
|
③北回り、南行きの船です。

今回乗った船はキルケネスからベルゲンへと寄港をを繰り返しながら、南下して行く定期船です。乗ってしまえば食べ物の心配は無いし、途中で長時間寄港する港では、小旅行が組まれます。北方観光の目玉は、なんと言ってもノールキャップ(北岬)で、ヨーロッパ大陸の北の果て、と言うことになっています。実はもう少し北に位置する半島が、本当のヨーロッパの最北点となるのですが、かつて勢力を誇ったノルウェーの王様が、ノールキャップへ海からたどり着き”北の果て”と言ったとかで、地理学的にはともかく、一般的、観光的にはノールキャップが北の果てとなっています。
南行きの船は午後にキルケネスを出向。サーメ人(ラップ人)の住む地域に寄港しながら(写真・ともにヴァルドの港)、早暁にノールキャップへのルートがあるホニングスバーグに入港します。船の旅ではサーメ人のトナカイ放牧などは,見ることが出来ません。凍てついた深夜の港に短時間寄港して,必要物資を下ろしたり、海産物を積み込んだりして移動します。ベルゲン発の北行き、に乗れば、確か2~3時間はホニングスバーグに停泊します。ここで船を下りる人も多いけれど、終点のキルケネスまで乗る人で、ノールキャップに興味ある人は、観光バスが船と連動してノールキャップへの往復ツアーを組んでいます。
我ら年寄りは、過去3度、ノールキャップへクルマの旅で行っているので、ツアーに加わることはしませんでした。ノールキャップのくわしいことは、オーロラのレポートで書いてあるので,興味のある人は参考にしてください。1970年代はノールキャップの岸壁の上に地球儀のオブジェ(写真)はもとより、広々としたレストラン、土産物屋などはありませんでした。素っ気なくノルウェーの王様が立った記念碑と、北限の地を示す標識があるだけでした。今は岬の100㍍ほど手前にゲートが有り、クルマで行くと”見学料兼駐車料”が取られます。
ホニングスバーグの港には、人助けでもしたのでしょう、大きな犬の像があります。土産物屋の3階には、博物館と書いてあったので、過去3度、階段を上っていて見たけれど、一度も開いていませんでした。年を追って観光地として発展はしているようですが、昔見た純朴なトナカイを放牧する人々はほとんど見かけませんでした。秋にトナカイを捕まえる際に、子供達が頸動脈を掻き切り、かぶりついて血を啜るようなことは、昔は当たり前、今では,想像だにできない世の中の変わりようです。そういえば、最初に行ったときには船で岬へと渡った記憶がありますが、今はトンネルルで結ばれ、いつの間にか岬側の島に居るという訳です。
ノールキャップへ行こうという人は、北行きの船でホニングスバーグまで行き、そこで船を下り、ノールキャップで遊び、飛行機で帰る手もあります。オーロラ見物の中心地はもう少し南が良いようです。
|
|
④地吹雪のオーロラ
「出ないなー」
「出ないねー。今年は駄目かも知れないね」
キルケネスを発って2日を過ぎ、次第に夕暮れが迫ってきた。どんよりと曇った空が、時に青空を点のように覗かせはするが、晴れ、乾燥、無風または弱風などと、オーロラの輝く条件は幾つかある。それがうまい具合に重なり合って、太陽風のプラズマが磁力線に沿って大気中の酸素、窒素などの粒子を刺激することで、綺麗に発光するとされている。
理屈はともかく、北緯66度33分が北極線で、オーロラベルトと言われて、オーロラが出やすい地域は66度過ぎから約10度、北緯79度過ぎあたりに成るという。3年前に”大当たり”したのも北極圏の”大都市”トロムソを過ぎた辺りだった。特にスクェルボイ~トロムソ間は、フィヨルドのなかを航行するので波は静かで、3年前にはここでオーロラと遭遇したのだった。写真・ババの傑作です
「初冬のフィヨルドを観て楽しむのも大きな目的だから、オーロラは見えなくても仕方がないかな」
フィンランド、ノルウェー、アイスランドなど行く先々で、毎年のように綺麗なオーロラを観ることが出来たのは、顔見知りの旅行社の人に言わせると”ツキ過ぎ”ということになる。
「ま、今夜は駄目だろうな」と展望室のソファでぼんやりしていたら、フト空の様子が変わった。
「出るぞ。デッキへ行こう」とババを促し、9階の後部甲板へ出ると間もなく、館内に放送があった。
「ノーザンライツが出ます。デッキへどうぞ」
操縦室から客に対して教えてくれるのだ。自慢になるが、いつも放送よりジジの方が先にひらめき,当たる。この夜もその通りだった。写真・凍った岩山の波打ち際に家々が固まっていた(上)。北極博物館(左下)。
しかし、言うのも憚られるのが,ジジに付きまとうツキのなさ?イヤイヤお粗末です。今回は張り切って持って行ったオリンパスのE-M5Ⅱのセッティングを間違い、オーロラに向けてシャッターを切ろうとしたらうまくいかない。仕方なしにカシオ100と言う製造中止になったカメラで撮ったのだが、これじゃ良い写真は撮れません。
ところが、去年まで夜の写真など厭だ、と言っていたババが、キヤノンの小型デジカメを5,6万円で買ってきた。ろくに練習もしないでぶっつけ本番だったが、かなり撮れていた。
「シャッターを押していたら駄目だった。だけど次にカメラをオーロラに向けて、シャッターを半分押したら、オーロラが向こうからモニターに出てきたの。なんだか分からないけれど、カメラが撮ってくれた」と笑う。
折から風が強まり、上空の雲は飛んで行って仕舞ったが、逆に近くの山から雪が風に運ばれてきて、地吹雪状態。雪が吹き付けるなかで、オーロラを撮影するという,希有な体験をすることになった。
トロムソには夜の11時半に着いた。3年前にはこの港で船のエンジンが故障して動けず、ハシュタまで小型の高速艇で移動したことを思い出した。その時、船は翌朝になっても動かなかった。団体客の添乗員は,駆けずり回っていたが、高速艇には乗っていなかったし、その日の飛行機はもうなかった。どうなったのか気にはなったが、個人旅行は自分のことが最優先。なんとかなったでしょう、で忘れていた。
トロムソは北極探検の出発地になったこともあって小さな資料館に、当時の器具などが展示されていた。今年は夜中。しかもオーロラの騒ぎは終わったので、船室で寝ることにした。
オーロラベルトなどは、目次ページの特集を参照してください。
|
|
⑤曇るとモノクロームの寒々とした世界
トロムソはこの初夏にちょっと長めの滞在を考えていた街だった。フィヨルドの中に港が有り、街が広がっている。バイキング時代には、主役のバイキング達が本拠としたのはハシュタ、トロムソなどこの一帯だった。北極圏最大の都市でもあるトロムソは、北緯66度33分以北の北極圏にあり、ロシアのムルマンスクに次ぐ、北極圏第二の都市で、大学もある。町中を歩いたが、ことにこれと言った興味をそそるところはなかった。
それでもこの町に20日ほどアパートを借りて滞在しようかと思ったのは、この界隈が北欧では最もオーロラの出やすい地域だと思ったからだった。港や空港があるのはフィヨルドに囲まれた島で、大きな橋が架かっている。港の南方に部屋を借り、橋を渡って対岸からだと写真は綺麗に撮れそうだった。橋と海と街、その上にオーロラが舞う―。そんな勝手な想像をしたのは、アイスランドで牧場に放たれていたアイスランドホースが、思わぬアクセントとなってオーロラや北斗七星をもり立ててくれたことを思い出していたからだった。
前にも書いたが、予約したアパートの所有者がアパートを売ってしまい「申し訳ないが、別のアパートかホテルを探してくれ」とメールが来たので諦めたのだった。それにしても,フィヨルドの初冬は、どんよりと薄暗い日が多く、晴れる途それは素晴らしい景色も、霧と垂れ込める雲には叶わないのだった。
カラー写真を撮っているつもりで裳、出来上がった写真はモノクローム状態。寒々とした光景が続き、一日中,太陽の出ない日もある過酷な冬の厳しさを思わせた。

写真・下の橋はラフテスンデ海峡への入り口。この橋を境に、ロフォーテン諸島が半島のように連なり、狭いフィヨルドで隔てられているが、綺麗な山々の裾を船はたどっていく。
時に狭い山裾にへばりつくように、閑散とした村が見える。 |
|
⑥フィヨルドを囲む山々
「アナと雪の女王」と言うディズニー映画がある。先ほどからTVで始まったので観ていた。半島のように延びたロフォーテン諸島とその周辺は劇画の背景に描かれている山々をイメージしたものだという。以前、この島々を先端までクルマで走り、一泊して戻って来たことがあるが、その時見た岸壁やフィヨルドの姿に似ていると言えないことはない。ディズニーの劇画なので、分かりやすく綺麗だった。
島の連なりに入る直前に橋があるが、船はその橋の下を通り、狭い海峡を約20㌔航行する。海峡は岸壁が迫り、迫力ある風景が展開するが、11月になると海峡航行は中止になり、ルートを代えてボードーヘト向かう。夜が支配する冬が終わり、春になると海峡ルートは復活し、北行き、南行きで別の特色あるフィヨルドの奥まで観光客を喜ばすために船を入れる。今回は曇天で短くなっている”明るい時間”のため、フィヨルドの岸壁や広い海域に出たときに見える山々も、モノトーンから抜け出せず、ちょっと残念なところではあった。

写真・岩山にへばりついたような港と村。観光客も年々増えて、小さなホテルも開業した。
トナカイの飼育もこの辺りではまれ。むしろ観光用の客引きという感じだ。

トナカイの飼育はノルウェースウェーデン、フィンランドなどで行われているが、次第に飼育する人々は減っているという。
|
|
⑦フィヨルドを囲む山々(2)#⑥フィヨルドを囲む山々 へのリンク

フト巨大な穂高・屏風岩を涸沢側から眺めたのを思い出した。もちろん、屏風岩より遙かに大きいし、途中に灌木なども生えていないから、まるで違う岩なのだが、切り立った様子が何となく連想させたのだ。
フィヨルドを取り囲む岩山には、こんな岸壁は珍しくない。アイスランドでも同じような形をした山々が、同じような高さで、同じように雪をつけてすらりと並んでいたが、ノルウェーのフィヨルドにも、そういう光景は多かった。
フィヨルドは広かったり狭かったり、様々な形をしていたが、バイキングの時代、よくもこの複雑な入り江と島々の間を,自由に行き交ったものだと、驚くと同時に敬服する。
乗っていた船は一万トンもある大型の貨客船で、天候が良かろうが悪かろうが、決まった航路を6,7隻が行ったり来たりしている。しかし、この航路を定期船が行き来するのは、元々生活必需品をフィヨルドの奥や陸続きでは行きにくいところに届けるのが始まりだったと言う。
したがって,その伝統は今も守られていて、深夜に小さな港に寄港したり、岩山にへばりつき、数軒の家しかない寄港地にも立儀に立ち寄っていることで明白だ。
ロフォーテン諸島とヴェストローレン諸島の間にある狭い海峡は,約20㌔ほどだが、ここを抜けて島々の南側をたどる航路は夏には観光客で賑わうところだという。フィヨルドを渡り、大陸側のボードの港につくと、間もなくオーロラへの期待は薄れる。オーロラ帯は北緯66度33分の北極圏から北へ10度くらいだときくが、オーロラ帯は当然、地球に忠実に巡っているわけではなく、いくらか歪んでいる。
北欧はそれが北にずれているようで北緯66度くらいから約10度ほど辺りから北が狙い目だと聞いた。ボードまで南下すると、オーロラは余り期待できない。周囲の風景に切り替えて楽しもうとするのだが、ちょっとまずいのは、この辺りまで来ると山々の雪が少なくなってしまう。

航行するルートも外洋が多くなり、状況に依ってはかなり揺れる。前回はベルゲンで乗り、北へと航行したが,今回は北から下ってきた。乗る楽しみとすれば、ベルゲンで乗り北へ上り、帰路は途中の港で降りて数泊すれば、オーロラのチャンスも増えようというものだ。
今回はベルゲンへで船を降りたが、この街は古いマーケットや土産物屋があって、観光都市の雰囲気。街や港を見下ろす裏山へのケーブルカーもある。
|
|