前兆なし、予告なし 突然の出来事
「大地初めて発(ひら)けし時…」で始まる古事記は、高天の原に一人神が三柱。姿もなかった。国はかたちを為す前で、どろんと漂っていた。さらに二柱も一人神。七代目にようやく伊邪那岐(イザナキ)、継いで妹の伊邪那美(イザナミ)「の神が誕生した。

淡路島の伊弉諾(イザナキ)神社。
伊邪那岐、伊邪那美は兄弟神。初めての“男女ペア”の出現だ。
ここでここまでを神代七代という。しかし、男女神が現れても、大地・即ち国土がなければ始まらない。天の神様たちは伊邪那岐、伊邪那美に天の沼矛を授けて命じた。
「漂っている国を修(おさ)め国土にしなさい」
二神は天の浮橋に立って、沼矛で「塩をコヲロ、コヲロに搔き鳴らして引き上げたまふ時、その矛の末(さき)より垂り(したたり)落つる塩、累(かさ)なり積もりて島となりき。これ淤能碁呂島。

沼島は鳴門海峡に面している。今は古代に誕生したと言う伝説より、観光が主役だ。
オノコロ島は特定の島ではないという。しかし、ジジ・ババは軍記物の平家物語にゆかりの地を歩いているとき、淡路島で出会ったのがオノコロ島だった。小さな島で、これが日本列島の原点か?と笑いました。淡路島の伊弉諾神社はイザナギが国や子供を生むのをおえた後に“隠居”した場所と由来に書いてあったが、別の説ではここへ天界から降り立ったと言うのもあります。何せ神話の世界です。稗田阿礼も見たわけではないので、人づてに聞いた話しの記憶でしょう。西行はこんな詩を詠んでいます。
千鳥なく 江島の浦にすむ月を 波に移して みるこよひかな
島の上には鳥居があります。今の神戸、大輪田泊を作るとき、人柱の身代わりいなった山王丸を偲んで建立したとも言い伝えられています。 オノコロ島はほかにも「ここいだ!」と言うところが有ります。幾つかをあげておきましょう。ちなみに行ってみたのは、淡路島とその中のもの,それに高千穂周辺です。
▽沼島=南あわじ市。 淡路島の南東に有る小さな島。”上立神岩”や天の浮島伝説があります。
▽友ケ島=和歌山県。 紀淡海峡の島々が挙げられます。池ノ島、沖ノ島が雰囲気からも挙げられることが多いようです。
▽児島=岡山県。 児島半島やその周辺の島々。
▽その他 隠岐の島、対馬なども伝承があるようです。
日本誕生の島、最初の国土、伝承の有る島々は、そこに住む人々にとっては宝物でしょう。高天原は九州説が最有力ですが、近畿まで最初に誕生した島は広まっています。だけど…。やはり…。神様はどこでも出没自由です。浮橋も気の向いたところに架けられるのでしょう。そして、瀬戸内海は古代から交通の要所として、転々と島伝いでノ交流があったのでしょう。

話しは前後しますが、神々は多産です。伊邪那岐、伊邪那美の二柱が共に生んだ島は14島。神は35柱です。オノコロ島、蛭子、淡島は数に入れない(古事記)。まずは良く生むものだが、そうでもなければ古代の厳しい環境で生き残る事は不可能なのだろう。
しかし、神子を生む過程で“火の神”、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)が誕生した。この子を生んだため、伊邪那美は大火傷を負って病の床に伏した。間もなく大地、神々、さらには生きとし生けるものすべての“母”でもある伊邪那美は黄泉の国へと旅立った。
伊邪那岐は嘆く。
「愛しい私の妻の命を子ども一人と替えてしまった」
枕元で、足下で、伊邪那岐は涙ながら伊邪那美に語りかけた。伊邪那岐の涙から生まれたのは泣澤女神(なきさわめのかみ)で、香山の畝尾の木の本にいるという。香山は大和の天の香具山(岩波・注)だとされる。伊邪那美は出雲国と伯伎国との境の比婆の山に葬られた。

松江市大庭町の神納山(かんなやま)の陵墓。
この比婆の山にも異説が有り、広島県の比婆郡にも伝説の地が有り、県民の森として保護されている地域に、誕生の地、葬られた場所と大岩、その他、由来とされる岩などが点在する。しかし、伝説の地とは言え宮内庁が保護地としているのは古事記にある出雲・伯耆の境の古墳だ。行ってみたが遠慮がち?に古墳に閉ざされた門が有り、宮内庁の管理する遺跡に共通する表示があった。
明治33年に宮内省が全国十数カ所の「イザナミノミコト神陵伝承地」を調査し、「御陵伝承地」と指定した。何分、神話の世界である。天皇を「現人神」へと押し上げた明治政府や軍部も、伝承地と一歩退いた表現にしている。
さて、伊邪那岐は悲嘆に暮れてばかりはいなかった。凄まじい怒りは我が子、カグツチの神に向けられた。十拳剣(とつかのつるぎ)をすらりと抜いて、カクツチの首をバッサリ。その刀にこびり付いたり、したたり落ちる血から子神が生まれるのだから凄い.。はたしてこの断首が怒りから出たものか、大切な火を絶やさないために、首を切り落とし、子孫を増やす手段に出たのか…。カグツチはこのシーンだけで以後、話題になることはない。
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