ロードス島

城壁は厚い所では幅が12bもあるそうです。中世には貿易が盛んな港町ですから、防備も固めることになります。
 街の中は意外とお洒落な雰囲気があります。土産物屋ばかりではなく、生活する人に向けた安い品物もちょっと探すとあります。
 

 ビーチは奔放にリゾートを楽しむ人々が一杯です。北から太陽を満喫するためにやってくるのです。以前はジジ・ババもトップレスの人がいると目を背ける傾向がありました。なんだか見るのが悪いように思ったのです。

 そんなことはなく、全く遠慮することも、気遣いも無用と知りました。相手が何でもないのに、こちらだけが“恥ずかしがって”も何もならないのです。

 だからといって、ほんのたまに見かける日本人は、やっぱり水着を着けています。習慣というのか文化というのか、どっちでもいいことですが、ギリシャでは地元のお婆さんも、モッタリと膨らんだ体で何とも言いようのないビキニ姿でビーチ、時には街を闊歩します。

 日本の年寄りは海辺へ行っても荷物の番をするくらいで、水着にはなりません。ババは元気に泳ぎますが、海の遊びに歳は関係ないと思います。

旧市街は世界遺産です。街がそっくり厚い壁に囲まれています。

ロープを投げる船員さん。マタドールのように反り返り、ポーズをとります

▼寄り道
 早速の寄り道・無駄話です。ロードス島はエーゲ海の島を巡り、トルコへと渡る途中で立ち寄りました。ロードスの港から、トルコのマルマリスまで、小型のフェリーが通っています。国境を越えてレンタカーを走らせるのは、ヨーロッパ内なら可能ですが、トルコはちょっと面倒な手続きが必要だったり、多くの会社で国境越えは許可しません。

 また、レンタカー会社は保険やトラブル発生の際に困難が生ずることから、基本的にフェリーで島を移動する際は、その島で借りる方式になっています。この時の旅では、トルコでレンタカーを借り直しました。

 以前、ギリシャ北東部のカスタニスから、トルコへ入国しようとしましたが、ギリシャの税関は「こちらはトルコへ入って、また戻ってくるのはかまわないよ。ただ、トルコがギリシャ籍のレンタカーでの入国や出国を許すかどうかは保障しないよ」と言われました。

 アテネのレンタカー会社に問い合わせたら「やめてくれ」というのでアレクサンドルポリからピレウスへ向かうフェリー兼貨物船に乗り込みました。牛や豚を積んだトラックや飼料の草を満載した車も一緒で、とても面白い旅でした。港に着くと地元の人が乗り降りし、トラックなども乗り込んでくるので、停泊時間は3時間から6時間でした。船員は親切で「車を持ってるんなら、出港の10分くらい前までに戻って来ればいいよ。それまで島を見物して来いよ」と実に気楽なものでした。

 ピレウスまで3日か4日かけての、のんびりと寄港、寄港で進みました。ジジ・ババは空いていた3人用の特別室で、ご機嫌な船旅をしたものです。


 ロードス島は船だとピレウスから遠いので、ヨーロッパの都市から観光客はチャーター便で飛んできます。団体なので経費も安いし、宿も初めから決まっているので気楽には気楽でしょう。ジジ・ババは例によって“アポなし旅行”ですから、出たとこ勝負です。たいがい値段も手頃な宿が見つかるものです。旅は気楽にするのがいいのです。

ロードス島(エーゲ海)

夕方になると男たちが街角にたむろします。トルコに近い島なので、大陸の影響もあるのでしょう。アラブの田舎に住んでいる男たちは、昼間から御茶屋に集まって話しをしていますが、怠けているわけではありません。夜になると羊の番をするのは大人の男の仕事です。上手に分業ですが、ロードスの男は夜何をして働くのでしょうか。

▼寄り道

 小アジア、アフリカ、ギリシャ、ローマ、さらにはベネチア、エルサレム、20世紀の初めにはトルコ、第1次大戦ではイタリア、第2次大戦後にギリシャと、支配者は次々と替わって来ました。
 交易上、便利だと言うことは幸福なのか、不幸なのか…。
 今はギリシャ有数のリゾート地となり、繁栄を謳歌しています。

▼寄り道

この島でトップレスは普通です。ヨーロッパの人はビーチならどこでも平気でこうなります。