上の2枚はアクロティリ遺跡です。写真は1996年のもので今は発掘がもっと進んでいると思います。
急な崖に建ち並ぶ白い壁の家々は、サントリーニ島の代表的な景色です。ホテルもレストランも一般の家もここでは同居しています。
夜になると光が灯り、エーゲ海の残照がいつまでも続きます。
この島に特別な産業はありません。観光が全てです。売られている品物はギリシャではありふれたものですが、古い石畳の路地で店をのぞいて歩くのは、何となく楽しいものです。
島巡りの旅はこの後ロードス島へ向かいました。
ティラやアクロティリでは噴火で埋まった古代遺跡が発掘されています。掘り出されて半地下のようになった遺跡を見ることが出来ますが、美術品などの多くはアテネに運ばれています。
▼寄り道
この島に立ち寄ったのは、遺跡見物というより、何となくです。ギリシャ名のティラ島より、サントリーニ島の音感がいいし、半分が吹っ飛んでしまった島がどんなものかも知りたかったのです。
地図で見ると島は西に傾いた楕円形をしていたようです。西のティラシア島、南のホワイトビーチをつなぐと、そんな形になりそうです。
カメニ島がフィラの西にあります。火山で出来上がった島ですから、火山の爆発で消え去っても、それは自然の成す業です。9月(07年)三宅島へ行ってみましたが、火口湖が消え去ったり、噴火で山が出来たり、有毒ガスや火山灰で鬱蒼とした森が枯れた枝を天に突き上げて慟哭するような姿を見て、自然の凄さを感じたものです。
ビーチ近くには洒落たレストランやカフェがあります。ギリシャ国旗をあしらったパラソルや日よけが雰囲気を出していました。
サントリーニは火山島です。緩い斜面と古い火口壁の急斜面があります。フィラの街は崖にへばり付くホテルやレストランが階段状に並んでいます。島は三日月型をしていますが、紀元前1500年頃の大爆発で、島の西側が半分近く吹っ飛んでしまったといわれています。
伊豆諸島の式根島も島の中心部がへこんでいるし、火山列島とも言える日本に住む我々には、分かりやすい話です。最近では1956年の大噴火で西側のフィラや北西のイアの街は大災害を受けています。クレタ島との交易などで栄えたと言われるこの島の古代文明は、噴火で殆ど壊滅したそうです。
港には観光案内の小屋が並び賑やかです。この島には公の観光案内所はありません。客引きがよってきてうるさいくらいでした。
島の名物とも言えるものに、ロバでの観光や送迎があります。ロバと言えば車の通行が禁止されているイドラ島が知られていますが、サントリーニもロバです。
大きな船はアティニオス港に着きますが、クルーズ船や小型の船は、フィラの街の崖下にあるオールドポートにも入港します。ここが1つの名所です。
港の賑わいは置くとして、ロバが大活躍です。港のすぐ近くに、街へ上るゴンドラがありますが、まずは楽しもうと、ロバに乗る人が結構います。ババもロバに乗って坂を上がりましたが、同じ坂を行き来しているロバは、崖っぷちや山寄りすれすれに歩くことが多いので、脚を崖にぶつけそうになったり、転がり落ちるのではないかと、気になりします。
小さいロバですが背中に乗ると意外と高いところにいるように感じるし、細い脚や痩せた首筋を見ると、大丈夫かな、の感じもあります。これもまた楽しみでしょう。
「初めはロバしか街へ行く手段がないのかと思ったけど、ケーブルもあった。でもせっかくだからロバにした」というわけです。
“ロバ・ターミナル”やロバ溜まり?があります。熱いのにご苦労さんで、歩く人もいますが、たいがい音を上げてロバにします。途中で乗っても、港からと値段は変わらなかったように記憶しています。
大男が自分より小さいく見えるロバに乗ります。馬方ではなくロバ方は、怠けて立ち止まるロバを容赦なく叩きます。アラビナンナイトにも、川で転び背中の塩を溶かしてしまい、味を占めたロバが次にも転ぶだろうと、たっぷりと水を吸う荷物を背負わせ、懲らしめた話しがあります。
ロバが怠け者ではなくそういう性格なのでしょうが、止まって歩かなかくなることは珍しくはありません。90年代の初めまで、ロバはギリシャ全土に沢山いたのですが、90年代の後半からはめっきり減ってしまいました。
ロバの背より、車やバイクの方が楽ちんなのでしょうが、ロバは衝突事故などは起こしません。崖から転がり落ちることもまずありません。急峻な山道はジジの経験からも、ロバの背の方がずっと安全です。
▼寄り道
島は古代を伝えるものが少なく、風光が目玉です。岩に囲まれたビーチもそれに一役買っています。アクロティリ遺跡はありますが、ここはやはり遊びです。