![]() ![]() 久米寺は推古天皇もたびたび訪れた 洗濯する女が立ち上がって裾を捲った。白い脛が飛行中の久米仙人の目を射った。ハッと見つめる久米さん。飛行する仙力、集中力は“邪念”に妨げられて失われ、女の前へと墜落した。今昔物語集ではかなり細かく書かれているが、ちょっとお堅い徒然草で兼好法師の意外な記述。 世の人の心惑わすこと、色欲に如かず。人の心は愚かなるものかな。 こんな書き出しで、匂いは仮のもので、焚き込んだのを承知なのに、流れてくる香りは、必ず心をときめかすもの、と続け、久米仙人へと話が移る。 久米の仙人の、もの洗ふ女の脛の白きを見て、通を失いけんは、まことに、手足・はだ(肌)へなどきよらに、肥、あぶらづきたらんは、外(ほか)の色ならねば、さもあらんかし。 兼好法師は体そのものに備わっている美しさだから、さもあろう、と久米のよそ見(すねをみる) のは仕方が無く、やむを得ないと言っている。この話は第八段にある。書き始めから幾らも無く兼行さんの健全で元気な姿が推測できて笑える。 ![]() 聖徳太子が寄贈したといわれる多宝塔と大日如来像 久米寺があるのは大和三山の畝傍山の南、橿原神宮にも近い。開基は来目皇子(くめのみこと)と言う説と、民間伝説から生まれたとも思える久米仙人説がある。来目皇子は聖徳太子の弟。系図から見ても,修行僧から仙人へ上り詰めた久米さんとは桁違い。 伝承では女のスネを見て転落、が圧倒的だが、貴族社会の方から見ると、由緒正しき聖徳太子の弟の創建がかんげいされたのだろう。文書などではこちらが多いとされる。 久米寺はずっと前に行ってみたことがある。今は名刹でもあるが、訪れた動機は寺Mンできる物ではない。 「久米ちゃんが墜落した川はどこかなー。女が洗濯していたというから、簡単に見つかるだろう」 この程度の認識で、もちろん興味本位なのは言うまでもない。ところが、居合わせた人に聞いてみると“あちゃー”の声も出ようというもの。 「昔は小川が流れていたらしいですが、とっくに干上がって、今は跡形もないようです」 その昔には、壮大な寺が有り、その柱のあとが残って居る、とか、興福寺お前身の寺だった、とか何とか…。聞けば聞くほど「こりゃ,ダメだ」の意が強まるばかり。久米の仙人が建立した寺が原型でないのなら、久米寺という名前は何なんだ!とまあ、怒ってみても始まりません。寺は久米寺の名前だし、推古天皇もゆかりがあるとなれば、「はい,そうですか。分かりました」というばかり。 |