八雲立つ須賀に    新居を構えて

子孫に大国主命


須賀(我)神社の本殿と歌碑

八岐大蛇を退治したスサノヲはクシナダヒメを伴い、宮殿(新居)を作るために出雲へと向かった。

須賀の地に着いたとき、スサノヲは呟いた。

「私はこの土地に着いて、すがすがしい気持ちになった。ここいに決めよう」

須賀の名も「すがすがしい」から命名した。そして宮を作ったとき、その地から雲が沸き立った事から、歌をつくった。それは今もよく知られる。

八雲立つ 出雲八重垣

妻籠みに 八重樫作る

その八重樫を

雲が八重にわき上がる 出雲の地に 八重の垣を作り妻を住まわせる

その八重垣よ

  
左・クシナダヒメを祀る稲田神社。右はスサノヲを祀る熊野神社

アシナヅチを呼び「お前がこの宮の責任者になれ」と命じた。スサノヲは早速、寝所に籠もり、子作りだ。クシナダヒメの生んだ子は八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)と言う。神々は一夫多妻が当たり前で、スサノヲも当然その慣習に習う。八岐大蛇に危うく食われるところだった最初の妻、クシナダヒメが最初の子を生んだが、直系だけ見ても次々と子供は生まれ、大国主命は6代目にあたる。しかも増えも増えたり、オオクニヌシの兄弟は80人にもなるという。


男神は青、女神は赤。(ウイキペディア)

80人の兄弟とは今の感覚ではまるで話にならない大嘘の世界だが、世界の王侯貴族や日本の将軍などには、80人とは行かないまでも、こりゃ凄いわ!と言う例が散見される。古事記を探るとスサノヲは180柱(人)、日本書紀では18柱となっていて、上記の系図は長男を辿っただけ。


ちょいと!寄ってきなよ。軽くブッて

めぼしいところを挙げると、徳川家康は正室、側室の子を逢わせると16人以上(男11人、女5人)が公になっている。側室を通しての姻戚関係などは、勢力温存・拡大に有利に働く。平安時代の嵯峨天皇(第52代)は皇后、正室、側室の生んだ子は50人以上(男26人、女23人)、南北朝の後醍醐天皇(第96代)は20人以上とされる。外国でも20人以上の例はかなりあるようだが、詳細は分からない。