スネを見て     下界へ転落

幸か不幸か久米の仙人


洗濯女のスネを見て   久米の仙人、下界へ落ちる


飛行する仙力を失い、洗濯する女の前に転落(和泉屋のサイト)

 仙力を失った久米。邪心は修行の成果を一瞬にして奪い、快適な雲に乗っての飛行は洗濯する女の側への転落へと変わった。孫悟空は筋斗雲(きんとうん)に乗って三蔵法師を助けるが、この雲は[
心、清らかなる者でなければ乗れない」と西遊記にはある。

 久米の仙人が乗った雲?はどんな雲だったのだろう。今昔物語集には“飛行術”というので、心頭滅却、飛行に集中する仙術を会得したものだけが、空を飛べると言うことだろう。特に飛行体についての記述は無い。久米さんは奈良・吉野の竜門寺にもう一人の僧と籠もって“仙の法”を修行していた。粗のぅ相棒、あずみ(安曇)は修行を成就させ、空へと飛んでいった。

久米も頑張って仙になり空に昇って飛ぶようになった。快適に飛行しているとき、ふと下界を見ると吉野川のほとりで若い娘が衣を洗って立ち上がった。

“ン-!”

女は脹ら脛まで着物を掻き上げた。白いはぎが露出。久米の目を射た。

「ンー、ウン!」

禁欲生活の長い久米は、目が点となって、白かりき脛(はぎ)へと吸い寄せられた。

「脛のしろかりけるを見て、久米、心穢れ(けがれ)てその女の前に落ちぬ」(今昔物語集・本朝部・第24)

長い修行で培った精神力は、ごく自然に融け去り、久米は空を飛ぶことに興味を失い、スネの白かりける、女の喪lとへと身を寄せた。

 その後、その女を妻とし、さらに修行を積んだが、その様子は竜門寺に扉絵として残り、菅原道真公の添え書きも消えずに残って居る。久米の仙、ただの人になってしまったが、馬を売ったときの譲渡証書には「前の仙,久米」と書いて渡している。(今昔物語集/同)

 古事談などにも久米仙人の記述はあるが、今昔物語集が詳しい。以下も同書に沿って、歴史上も誠にユニーク、人間らしい“仙人”時代やその後を辿る。

前の仙,久米



 久米の良いところは仙力を失って、女の前に転落したのを恥じない事。女もまた嫌がりもせずに久米の妻になって、普通の生活を続けているあたりも、平和で気楽な古代日本を彷彿とさせる。

「前の仙、久米」

などとわざわざ証書に書くなど、恥の上塗りにならないか、と思うのが現代流で、ある意味、現代では隠すのlが常識というものだ。

 清少納言は兄たちを襲った切り込みの武人に、男と間違われて襲撃されそうになったとき、裾を捲って「女じゃ」と叫んで難を逃れたが、久米は裾を捲っていた女を見て仙力を失ったのだから、恥じ入っても当然だが、どうやら時代の違いは,判断の違いにもつながっていて、白いスネを見て興奮しても、それはそれで,当たり前、と受け取るのかなー。

久米がその女と仲良く“普通の人”として生活しているとき、奈良・柏原市周囲に都を造成するため、人夫を集めたが、久米にもその役が巡ってきた。集められた人夫は久米を「仙人、仙人」と呼ぶ。役人たちは「どうして仙人と呼ぶのか」と聞いた。人夫たちは笑いながら説明した。

ー久米は竜門寺に籠もって仙の法を修行して、仙になって空に昇って飛び回っていたんですよ。女が衣を洗って立ち上がったとき、捲れた裾から白い脛が見えたんですわ。(破れて欠字) 前に落ちたけどすぐにその女を妻としてのですよ。そんなことで“仙人”と呼ぶんですわ-。


「止めてくれー」(クリックすると特集へ飛びます)

役人たちはこの説明を聞いて納得。もとは仙の法を使う仙人になっていたのか。それなら自分で材木を持ち運ぶより、その時の仙力で空を飛ばすほうがいい。そう話し合った役人たちは、大真面目な顔をして、実はふざけ心で久米に言った。

「久米。仙の法を使って、材木を運ベよ。その方が楽だろう」

 「いや、いや、とんでもありません。仙の法を忘れて何年も経ちます。今はただの人です。そういう霊感を使うことなど出来ません」

そうは言ったが、久米は自問した。
「仙の法が使えたと言っても、凡夫の愛欲で女人を見て心を穢し、仙人になることはなかったが、当時は良く使っていた仙の法だった。仏が何か助けて下さる事もあるかも知れない」
こう考えた久米は、役人に向かって話した。

「空を飛ばす事が出来るかどうかは分かりませんが,もしやと思うので、お祈りをして見ましょう」
役人たちは呆れて言い交わした。
「バカな事を言う奴だな」と。

やらせてみよう。どうせできっこないが、笑い話にはなると話は決まった。

「それはいい話だ。暇をやるから、試してみろ」


久米仙人が再修行した場所(竜門寺)

久米は昔、竜門寺に籠もって修行した事を想い出していた。足は自然と竜門寺へと向かった。静かな道場(寺)に籠もり、心身を清浄にして七日七夜、休むこと無く、仏に対して礼拝恭敬し、心を込めて仙法の回復を祈った。そうして七日が過ぎた。役人達は久米が見えないことを笑いながらもいぶかしく思い始めていた。そして八日目の朝が明けた。

平穏だった朝は、俄に空が曇り、次第に雲は濃くなって暗闇のようになった。大粒の雨がドット降り始め、雷鳴が轟く。視界は閉ざされ何も見えない。

「どうしたことだ。この荒れ様は…」

人々は驚き、恐れることしばし、今度は突然、雨が止み、雷鳴も去って行った。雲が千切れ空は一気に晴れ上がった。見上げる空には、大、中、小…、様々な材木が南の材木を切り出している山の辺りから、空を飛んで来る。そして都を作る予定の辺りへと舞い降り、積み重なっているではないか。

 仰天した役人達は姿を見せた久米に向かってひざまずき、手を合わせて礼拝する事になった。役人達はこの出来事を早速天皇に奏した。天皇もこの出来事を聞いて、久米を尊び、敬って直ちに、税を免除した田圃三十町を久米に与えた。喜んだ久米はこの田を生かしてその郡に一つの伽藍を建立した。久米寺がこれだ。

その後、弘法大師(空海)が丈六(立像にすると一丈六尺あるとして、大きな座像を丈六と言う)の薬師三尊を銅を鋳据えて奉った。大師は寺で大日経を読み「すみやかに仏になる教え」とお考えになり、唐へ真言を学ぶ為にお渡りになった。

こういう経緯もあり、やんごとない寺と語り伝えられている。